大学アドミニストレーターを目指す大学職員のブログ

高等教育関連の話題が中心。最近は補助金やIR、SDの話題が中心です

学びをするもしないも個人の自由~但し、最低限は学ぶべし~

 大学職員の学びについては、インターネットでも現実でも議論は絶えない訳ですが、議論については論者の個々の体験も反映しているケースが多いせいか、大学職員の学びという大きな世界でもありつつも、論者それぞれが自ら土俵を作っており、そこから降りてこず、ただ叫びあっているようにも個人としては感じております。とはいえ、この記事も、一土俵から声高々に叫んでいるに過ぎない事は承知しています。

 

 さて、この記事のタイトルは「学び」としております。「勉強」と思ったのですが、日本国語大辞典でそれぞれの語句の意味を調べると次のようになります。(文章例は省略しました)

「学ぶ」

(1)ならって行なう。まねてする。

(2)教えを受ける。習う。

(3)学問をする。物事の理を修めきわめる。

 「勉強」

(1)(形動)努力をして困難に立ち向かうこと。熱心に物事を行なうこと。励むこと。また、そのさま。

(2)気がすすまないことを、しかたなしにすること。

(3)将来のために学問や技術などを学ぶこと。学校の各教科や、珠算・習字などの実用的な知識・技術を習い覚えること。学習。また、社会生活や仕事などで修業や経験を積むこと。

(4)商品を安く売ること。商品を値引きして売ること。また、比喩的に用いて、大目に見ること。おまけをすること。

まあどちらを見ても、ブログ記事の大意にはあまり影響しないようでしたが、学びのほうが(2)と(3)の意味を見るとしっくりくるので、「学び」としました。

 

 さて、ようやく本題です。もうだいぶ前の事ですが、自分が中学~高校~大学の時は、「社会人になったらもう勉強しなくてもいいのだ!」と思っていました。親も、日曜日にたまに社内資格の勉強している姿をちらっと見るだけで、そんなに大変そうではなかったというのもあります。しかし社会人になってみてからは、社会人としての基本的な事から、その仕事に関する専門的知識を見につける必要がありました。まあ新卒時に入った会社の業界に関する国家資格は、就職活動に有利なようにと在学時に取得したのですが、資格の知識は何も役に立たないこと(余談ですが、この資格を取るために、通信教育を受けていましたが、1年間さぼり、1年間分の教材を1カ月でつめこんで資格試験に挑むという無茶をやったのも良い思い出です)。

 

 大学業界に転職してからも、大学時代に大学関係の仕事をしていたおかげで多少は知識はあったものの、知らない事が多く、関連する規程を読んだり、色々聞いて回ったり、関連する書籍や論文を読む事は必要でした(無論、今でも未だに必要です)。ここまでは私の経験ですが、個人的な意見を言うならば、学びは、組織が必要としているものを最低限見につけていれば、学ぶも学ばないも個人の自由なのではと思うのです。私は学びたくありませんといって、社会人に必要な知識や能力がないのは論外ですが、しいて言えば仕事が出来て結果を出せていればいいのではと思います。

 

 ただ学びをする事は、自分の今後の選択肢の数を増やす、また(増えた、もしくは)今ある手持ちの選択肢から希望の選択を引き当てる確率を上げるといった効果があると思っています。後輩には、仕事で必要な事は教えながらも、学びを広くや深くすればするほど、投資が必要になるので、その事を伝えながら学びについては本人が選択できるようにしていけるように心掛けています。

 (要は出世したり、希望の仕事をしたいなら、学んでアピールすればいいし、仕事は生活する為であってプライベートを充実させたいが第一であれば、最低限の学びでもいいという事です。)